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【キラキラ☆プリキュアアラモード】琴爪ゆかりの"退屈"について 〜第16話 感想・考察〜

アニメキャラの感情に真剣に生きていく。

 

キラキラ☆プリキュアアラモード第16話、最高の回でございましたね…少女革命ウテナといいアイカツスターズ!といいリトルウィッチアカデミアといい、最近面白いアニメが多すぎて心臓がペシャペシャになる、助けてほしい。

 

さて今回の記事ではプリキュアアラモード16話を視聴しての、琴爪ゆかりさんについての考察を垂れ流していこうと思います。今回描かれた琴爪ゆかりさんの「好きがわからない」という悩みから、琴爪ゆかりが退屈を感じていた理由に新しい解釈が生まれないか?ということを考えました。

 

それではやっていきます。

 

これまでの琴爪ゆかりの"退屈"への解釈

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16話以前の、主に第5話から読み取れる琴爪ゆかりの退屈についての解釈をおさらいします。琴爪ゆかりが毎日を退屈に過ごしていた理由。その理由は「なんでも人並み以上にこなせる能力を持っていたから」であると捉えていました。

 

何をやっても上手にこなせる、結果が見えている。周りの人々は皆似たり寄ったりの称賛の言葉を投げかけてくる。だから退屈。なるほど、そりゃあ退屈だろうと、納得がいきますね。

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「琴爪ゆかりは、なにをやっても人並み以上にこなせるため、退屈を覚えている」、これは確実に正しいものであると思います。したがって私が今から述べるのは、これを否定するものではありません。これと共存する、もう一つの新しい解釈です。深読み度が高くこじつけな部分も多いかもしれませんが、ジャンジャンやっていきます。考察、正しかろうと間違っていようとジャンジャンやっていくぞ。

 

第16話の琴爪ゆかりについての考察

私は第16話で描写された以下のポイントから、琴爪ゆかりの”退屈”に対する新たな解釈を見出しました。

  1. ゆかりは幼少期からずっと「好き」がわからない
  2. 祖母や両親はゆかりに「好きに生きろ」と説いている。そしてゆかりはそれを実践しようとしている
  3. ゆかりは日曜のお茶会への参加に乗り気ではなかった
  4. いちかとパティスリーでのお茶会を開くまで、自身が茶道を好きであることがわからなかった

 

まず、これらの情報から読み取れることを考えていきます。ゆかりさんは第5話の回想にて茶道を習っている様子が描かれていました。

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にも関わらず③のような様子を見せたところから、どうやら現在は茶道から離れていることが読み取れます。

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なぜ彼女は茶道から距離を置いたのか?という部分を考えると、まず  。少なくとも今回まではゆかりさんは自身が茶道を好きであることがわからなかったこと。そして②、祖母や両親から「好きに生きろ」と説かれていたこと。この二点を踏まえると、ゆかりさんは自身が茶道を好きであるかわからなかったから、祖母の言う「好きなことをやれ」を実践できないため、茶道から離れていた。という風に推測できます。

 

ではここからさらに踏み込んで考えたいのは、「茶道から離れたゆかりさんはどのような行動に出たか?」という部分。あっここからさらに深読み度が増していきます。

 

ここで考えるのは、①と②です。ゆかりは幼少期から「好き」がわからないという悩みを持っている。そして祖母からは「好きに生きること」を言いつけられている。であれば、「好き」がわからないため茶道から離れたゆかりさんは、祖母や両親の言いつけである「好きに生きる」を実践するために、自身の「好き」を探していたのではないか。そういうことを想像します。

 

琴爪ゆかりの気まぐれな行動

5話では、ゆかりさんがスポーツ、勉強、ファッション、クレーンゲーム、いろんなことに取り組んでいる様子が描かれていました。

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この、ゆかりさんがいろんな物事に取り組んでいた理由ですが、上の項で述べた考察を踏まえると、ゆかりは「自分の好きがわからないので好きを見つけたい」という思いを心に秘めており、だからこそとりあえず興味の湧いたものを片っ端からやってみていた。考えられないでしょうか。

 

5話の時点では、ゆかりの行動についての理由を「面白いものが好きであるため、それを探すためにいろんな分野に取り組んでいた」と読み取っていました。

これを、「自分にとっての好きを見つけたくて、面白みのあるものを探していた。結果として様々な分野の物事に取り組んでいた。」と読むと、ゆかりさんが「色々なことに挑戦していた」という行動の理由に、より強い説得力が生まれないでしょうか?

 

また、「気まぐれである」という性格が、「好きを探したくて色々な分野に挑戦していった結果、側から見ると気まぐれに見えていた」とも読み取れるのが面白いと思います。

 

琴爪ゆかりの"退屈"についての新しい解釈

さて、ゆかりさんが色んなことに取り組んでいたという行動に、そういった目的があったとして。しかしながら何に取り組んでも彼女は"退屈"を感じていました。第5話の時点では、この退屈の理由を「何をやっても人並み以上にこなせるから」であると捉えていました。

しかし、ゆかりさんの行動の目的が、上記にて考察したものであるとすると、「何をやっても好きがわからないから」とも解釈できるのではないでしょうか。

 

好きを見つけたくて色々なことに挑戦するけど、なにをやっても好きを感じられない、皆が楽しめていることを楽しめない、退屈だ。

これが私の考える、琴爪ゆかりの退屈を感じていた理由への新たな解釈です。

 

もちろん、どちらかが絶対的なものだと言い切る訳ではなく、この両方が複雑に絡み合って、琴爪ゆかりの退屈は生まれている、のではないかと言いたいわけです。

 

新たな"退屈"への解釈が生む深み

私は第16話を見るまで、琴爪ゆかりの退屈”の理由を「なんでも人並み以上にこなせるため」だけと考えており、彼女のキャラクターについて「何でもできる、気まぐれな完璧美人。何でも器用にこなしてしまうため毎日を退屈に過ごしている」と読んでいました。

 

しかし第16話を見てアレコレ考察した結果、"退屈"への解釈は「何をやっても"好き"がわからないため」というのも考えられ、それを踏まえると彼女について「茶道を離れ、自分にとっての好きを探そうとして様々なことに取り組んでいたが、なにをやっても面白みを感じられず、毎日に退屈を覚えていた。そしてすぐに興味の対象を変えるものだから周りから気まぐれと称されていた。」というふうに読みとれるなと思いました。

 

より複雑な琴爪ゆかりの感情の背景が感じられ、キャラクターの深い部分が感じ取れ、実に面白いです…好き…

 

なにをやっても上手くいく、すなわち結果が見えてしまうからつまらない、退屈である。という、物事の結果という外面的な要素に起因する退屈、そして好きを見つけたいが好きを感じられない、他の人のように楽しみを感じられない、退屈である。という、物事に対する自分の心、すなわち内面的な要素に起因する退屈。琴爪ゆかりの退屈は、内外両面から生まれていると解釈できるわけです。

 

退屈"というのは、琴爪ゆかりというキャラクターにとって核となる要素であると思います。その要素に、この第16話にきて新しい解釈が生まれたのはたいへん凄いことだと思いませんか?既に上質に出来上がっていた琴爪ゆかりのキャラクター造形が、ここにきてさらに深められたというのは非常に感動ポイントではないでしょうか?

 

また、第5話を今一度見返してみると、いちかとゆかりのやり取りの意味合いが増すんですよね。

「みんなお菓子づくりが得意には見えないけど、なんでわざわざ作ってるの?」

「大好きだからです。大変だけど、ちょっとずつでもできるようになるのが、面白いんです!」

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この時点では"好き"がわからないゆかりさん、最初からなんでも出来るゆかりさん、このいちかちゃんの言葉を聞いてどう思ったのか…想像が膨らむんですよね…

第16話を観たあとに視聴する第5話、見えてくるものがたいへん変わっているので強くオススメします。

 

プリキュアアラモード、最高〜!

とまあ、こんな具合に琴爪ゆかりさんの"退屈"について考察したわけですが…本編についてそのように明言されたわけではありません。私も絶対こうであるとは絶対言い切りません。

 

その真偽はともかくとして、私が感動するのは、こういった考察が可能であるほど、本編描写がしっかりしていることです。ゆかりさんのキャラクターの描き方がしっかりしているからこそ、あたかもそうであるかのように解釈して観ることが出来るんですよ。

 

こうも深く考察できるのは、作り手の皆さんが琴爪ゆかりというキャラクターに真剣に寄り添い、それに基づいた真剣な表現を打ち出しているという事実に他ならないでしょう。

 

考察は考察に過ぎないですが、考察に至らせる源となる最高のアニメがあるのは紛れもない事実です。これからの放送も楽しみですね、全力で楽しんでいきたいと思います。

 

せーのっ、プリキュアアラモード、最高~~!

 

終わり